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広島高等裁判所 昭和39年(ツ)65号 判決

上告人 控訴人・被告 株式会社佐伯工務店

訴訟代理人 広沢道彦 外一名

被上告人 被控訴人・原告 壱岐与蔵

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人の上告理由について。

裁判上の和解は、裁判所又は裁判官の面前で争いある事件につき互に譲歩してその争を終了せしめる当事者間の合意である。そして右合意は私法上の和解に外ならないのであるが、その私法上の和解は、訴訟行為たる裁判上の和解の一つの構成要素であつて、裁判上の和解が有効に成立するためには、その要素である私法上の和解が有効に成立すると同時に、更に訴訟法上の要件の具備をも必要とする。すなわち、裁判上の和解は私法上の和解を含む一の訴訟行為であつて、私法上の和解に荷われた存在というべきものである。従つて、基礎となる私法上の和解が何等かの理由により無効となるならば、裁判上の和解もまた当然無効となることは明らかである。しかし、その反対に裁判上の和解が訴訟法上の要件の欠缺のために無効となつても、そのためにその基礎たる私法上の和解が常に無効となるとは限らない。たとえば裁判官が関与せず裁判所書記官のみの面前でなされたというが如き理由によつて裁判上の和解が無効となつても、そのために右書記官の面前で成立した私法上の和解もまた当然に無効となるいわれはない。勿論、訴訟行為たる裁判上の和解の無効原因が同時に私法上の和解の無効原因となる場合のあることは明らかであるが、その場合でも私法上の和解が無効となるのは裁判上の和解が無効となつたためではない。裁判上の和解が訴訟行為として無効となつても、その基礎たる私法上の和解の効力については別にそれが実体法上の要件を充足しているか否かを判断してその有効、無効を定むべきものである。原判決の認定によれば、商法第二六二条が訴訟行為に適用せられない結果、本件裁判上の和解は上告会社を代表する権限を有しない者の訴訟行為として無効と解すべきであるが、その基礎たる私法上の和解には同条が適用せられる結果、右私法上の和解は無効となるべきものではないというものであつて、右原審の判断は、前に説示したところに照らし首肯するに足り、原判決に裁判上の和解の性質を誤解した違法はない。もつとも、所論の如く、裁判上の和解が訴訟行為として有効であることを前提として私法上の和解が成立した如き場合に、裁判上の和解が訴訟行為として無効となつたため、私法上の和解もまた要素の錯誤により無効となる場合のありうることは否定できないけれども、右の如き要素の錯誤の存在については上告人は原審において何等主張していないのであるから、原判決が此の点について判断しなかつたのは当然である。

論旨はすべて理由がない

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本冬樹 裁判官 熊佐義里 裁判官 長谷川茂治)

上告理由

第一点原判決は裁判上の和解の性質を誤解し判決に影響を及ぼすこと明白なる法令解釈の違背がある。原判決は裁判上の和解は訴訟行為としての和解と実体法上の和解が合して一個の行為となつているものであつて、実体法上の和解が無効であれば裁判上の和解も無効である然し乍ら訴訟法上の行為がその瑕疵によつて無効となつたとしても私法上の契約たる部分が実体法上の法律要件を充足している以上はその部分は有効であるとの見解を判示した。けれども一個の行為であると判示しながら前者に於ては何れも無効とし、後者に於ては私法上の和解のみを有効としたが後者の結論を生ずる理由と根拠は全然之を示しておらない。裁判上の和解の性質として一個の行為にして右二個の性質を有するとする見解は我国判例学説の通説であるその趣旨は具体的に存する行為は一個であるが法的には、二個の性質を併有すると謂うのである。かかる場合にその有効無効につき両者運命を異にすることが原判示の如く理由もなく当然に結論できるものであろうか。

一、裁判上の和解はその大部分は係裁判官の勧奨に基づき、双互の譲歩により訴訟を終了せしめる行為である。その双方譲歩の内容は単に訴訟を終了せしめることに止まる場合もあるが、大部分は実体的譲歩を内容とする。既に訴訟提起され全部の請求をなしつつ実体的譲歩をなすのは、早期解決と言う外に和解が確定判決と同一の効力を有すると言う点が重要な意思決定要素となつている。一個の具体的行為が二個の法律上の行為たる性質の両面を有するものであるとすれば両者は不可分の有機的関係にあり一方のみが無効であつて他方が残存すると言うことは前記の如き和解成立の実情に照し甚だしく不当である。確定判決たる効力はなく唯私法上の和解としての効力のみ残存すると謂うことは、訴を提起し全部の請求をなしているものに対し、何等の訴訟法的担保なく、私法上の権利を譲歩された和解の範囲に無条件に減縮せしめることとなる確定判決の効力なき譲歩の和解は当事者の当然なさるべきことで斯かる不当なる結果は当事者の予期せざるところであり、右の如き結果は一個の行為を法律上性質を異にする二個の行為に分つてその存立を別異に解決せんとするからである。裁判上の和解はその有機的性質に鑑み、その訴訟法行為としても又私法行為としても互にその存立を条件とする内容を有し合して一体をなすものと解しなければならない。

二、本件とは逆に私法上の和解として無効であれば裁判上の和解としても無効であるとされる理由は何処にあるか。私法上の和解としての要件を欠く場合と雖もそれが当然に訴訟法上の要件を欠くものではない。両者共通の条件を欠く場合は言うを俟たないが訴訟行為として欠くるところはないのに拘らず私法行為として有効要件を欠く場合、訴訟行為として之を有効として存続せしめることは不可能ではない。確定判決に比すべき裁判上の和解は私法行為以上に形式的尊重に値する。然るに此場合両者共無効とする所以はその具体的一個の行為としての有機性を根拠とし、互にその有効なることを条件として成立している関係に基づくものと謂わねばならない。

三、両者の存立の有機性を両者互の存立を条件とすると表現することは或は妥当でないかもしれない。訴訟行為の条件の問題として取上げるとしても段階的発展途上の訴訟行為に条件を附する場合とは異なり本件は訴訟終結行為に関する問題である。同時履行を命ずる終局判決連帯債務者数人に対する給付判決等に於てもその判決の執行は条件に繋がるものである。夫は判決の有効無効の問題ではないとしてもその効力が条件に繋がるもので条件附訴訟終結であることに間違ない。実体的内容を有する訴訟終結行為に条件の付せられることは事案の性質上避け難い場合の存すると同様、和解なる行為の性質上両性質の行為が互にその存立を条件とすると解しても訴訟法理論に反するものではない。蓋し両者は合一して一体をなした一行為の両面にすぎないものであるからである。

四、又私法行為としての和解は明示されなくても前記一に述べた如く訴訟行為としても有効であること、即ち確定判決と同一の効力を有することを双方合意の上なされるものである。裁判上の和解の行われる以前即ち裁判官の面前以前に和解成立した後裁判上の和解をなすことも屡々に存する。斯かる場合の多くは之に基づき裁判上の和解をなすことを前提として予め私法上の和解をなすものである。その場合仮に約旨に反して裁判上の和解に確定判決と同一の効力あることを知つて当事者の一方が之に応じなかつた場合は如何。之正に要素の錯誤として私法上の和解を無効としなければならないであらう。之と引続き裁判上の和解をなしたが裁判上の和解は無効となつた場合を対比すれば両者その結果を一にすべきものではなかろうか。裁判官の面前にて始めて成立した和解に於ても訴訟行為としての和解の無効は私法行為としての和解の要素の錯誤としてその無効を招来すると言うべきである。原判決は訴訟行為として無効である場合に於ても私法上の契約としては有効であることにつき何等の根拠も説明をも示していないのは、判決に理由を附さなかつた場合に該当するのみならずその結論は法令の違背であつて判決に影響を及ぼすこと明白であるから速かに之を破棄されんことを求める。

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